ポスト・モダンというスタイル〜ピアニストは今後どう演奏していくべきなのか?
先日、日本ピアノ界の裏の重鎮であるオタクT氏から非常に興味深い話を聞いた。浜松国際アカデミーの中で、現在のピアニストはどんな演奏をしていけばいいのか?という話があがっていたそうである。ヒストリカルな音源がたやすく手に入るようになり、次々に復刻していくので愛好家の耳はやはりそちらに傾く。もちろん私もその一人であり、よほどでない限り今活躍しているピアニストのCDを買ったりはしない。なぜなら面白くないからであり、仮にきちっと間違わず完璧に弾いただけで評価されれば、日本の音大生はみんなゾロゾロとピアニストになれるだろう。(彼らはたいてい、ミスタッチを嫌うピアノの先生や審査員が気に入る弾き方しか学んでいない。)
ではどうすれば評価されるのか?
過去の巨匠にはない完璧さにプラスアルファが備われば問題ないが、そんなアムランのようなピアニストはまずいない。
答えが分かれば私もとっくに実行しているのだが、こればかりはそれぞれの国においても評価のされ方も全く違う為、一概には言えないのが難しいところである。
例えば日本であれば「ネームバリュー」がかなりものを言うが、ヨーロッパやアメリカではそうはいかない。しかしそういった問題を抜きにして考えると、ヒントは70年代にあるのではないだろうか。晩年ではあるがアラウやミケランジェリなどの巨匠たちが皆生きており、アシュケナージやポリーニの世代も絶頂期でちょうどピアノ演奏史において交差点のようになっている。それぞれのスタイルはあれど、70年代でポストモダンと呼ばれる演奏スタイルはすでに確立しており、やりたい放題が評価された時代はすでに終わっていた。
それから30年、基本的な流れは変わっていない。その中で今我々ピアニストがするべきことは、間違わずに弾くことでもコンクールで一位をとることでもなく、20世紀前半のようなピアニストの黄金時代をもう1度築いていくことではないだろうか。過去の真似事や奇を衒ったことをやるのではなく、本当に自分の持ち味が自由に出せる作曲家の音楽を見つけていき、今しかできない功績を一つでも残していくことが一番大事ではないかと私は考える。
Piano de Virtuoso





