〜打倒!クララ・シューマン!〜
いきなり凄いタイトルのコラムだと思われたかもしれないが、別に特別クララシューマンが嫌いなわけでもなく、彼女の作った曲をどうこう言うつもりもない。彼女は素晴らしいピアニストだったと思う。しかしここで述べたいのは彼女が定着させた2つの慣習についてである。
1つ目は暗譜!現在演奏会ではピアニストが暗譜で弾くのはほぼ当然で、アンサンブルや現代作品を除いては暗譜で弾くのが常だ。しかし彼女が定着させるまでは暗譜で演奏することなど皆無で、むしろ楽譜を置かずに弾く事は作曲者への冒涜とまで言われたらしい。確かに楽譜には作曲者のメッセージが隅々まで載せられているし、2・3ページの曲ならともかく1時間近くある曲など全てを頭に入れるとなると、何年も勉強しないと厳しいだろう。それなら楽譜を置いた方が、逆に楽譜の裏まで掘り起こせるのではないかとも思う。実際リヒテルも晩年は楽譜を置いていたし、クレーメルは「暗譜で弾いている若い奏者は曲の記憶を辿る事に終始しがちだ」と言い、自ら楽譜を置いて演奏している。しかし勘違いしてはいけないことに、彼らは暗譜の必要が無いとは一言も言っておらず、もっと高い次元で述べているということだ。私も暗譜は必要だと思うが絶対的なものではないと思っている。しかし昨今絶対的だと思っている人は非常に多く、事実コンクールや試験など暗譜である事が必須だ。これは、時に奏者の持つ素晴らしいインスピレーションを阻害してしまうこと、
にもなりかねないということをよく考えなければいけない。暗譜の問題は非常に難しく、賛否の分かれる所なので見逃さずに考えるべきである。少し本題からそれたが、クララが始めた事が今当然のように行われているというのは何とも驚きだ。
そして2つ目の慣習、これが私が一番彼女の功績の一つとしてよく思わないことなのだが、ずばり原典主義につながる「楽譜に忠実」に弾くということである。これはあの大評論家であるショーンバーグも非難している。彼女はリストをとても毛嫌いしていて、リストの技巧や派手なポーズをひどく嫌っていた。もちろん技巧の素晴らしさは認めていたが、けなしたような発言も多い。しかしよく考えると今の時代になってむしろこういう人は増えたのではないだろうか。この風潮は間違いなくクララのせいであり、たいてい現在のピアニストはこのタイプにあてはまってしまっている。ピアニストの黄金時代を生きた巨匠達は、皆楽譜の枠や型にはまらないピアニストばかりだった。しかし彼らの楽譜の読みはどれだけ深いことだろう。この事に気付かず、ただの再生装置のように演奏するピアニストたち…全てクララシューマンから原典主義だけを受け継いだ、つまらない教師たちの呪縛である。この呪縛から逃れない限り、今の時代のピアニストに未来はない。
*まるで現在の面白くない音楽事情を、ただクララのせいにしているだけじゃないかと思われたかもしれない。しかしあえて私がクララをここで取り上げたのは、どんなことでも必ずルーツを辿らねばいけないということ(これは本当に重要)と、ただ何も勉強せずに今の現状に甘えている音楽家が日本には腐るほどいることに憤りを覚えるからである。
Piano de Virtuoso




