〜演奏家と聴衆の関係 〜

 今日、日本では数えきれない程の演奏会が行われており、文化が発展しているのはとても喜ばしいことである。その中でも長い歴史を持つクラシックにおける演奏会の在り方について少し考えてみたい。
当然のことながら、演奏会は演奏家と聴衆によって成り立っている。しかし、どうも現状を見ているとそのバランスが釣り合っていないものも多いように思う(例えば極端な話、演奏家の独りよがりによるプログラムの演奏会、もしくは聴衆が喜びそうなプログラムを組むが奏者のレベルが低かったり…など)。
仮に演奏史に名を残すような演奏家であれば、どんなプログラムを組もうが、聴衆は演奏家自体を求めてくるだろうから全く問題ない。しかし今の日本ではその様なピアニストはごく稀で、幼少から訓練を受けた音楽大学の学生、もしくは卒業生が演奏会を開いている人口の中心である。もちろん私もその内の一人であるが、チケット代を少しでも頂いて演奏会を開く以上は、必ずその時その瞬間でしか味わえない楽しさや感動が伝わるものであるべきではないだろうか。つまり、聴衆に近付く…決して媚びるわけではなく、歩み寄るということが演奏家側にもっと必要ではないかと思う。

 1940,50年代のホロヴィッツのライブ録音などを聴くと、この時代の聴衆の熱狂ぶりが凄かったことを改めて痛感させられる。例えばコンチェルトなど1楽章が終わってすでに大拍手!今日のように楽章間の拍手を、あえて知っていますというような顔で避けるようなこともなく、当時の耳のこえた聴衆は確かに演奏家と同じ空間を共有していたのである。
しかし、人々が音楽を求める本質が変わっていない以上、現代でも同じ空間を楽しむことは十分可能なことである。そう考えるとクラシック音楽の専門家たちは、だんだんつまらなくなってきているのかもしれない。ホールの響きや楽器のことをうるさく言う暇があるなら、ジャンルは違えどジャズやロックの聴衆がなぜあんなに熱狂しているかを考えた方がいいだろう。
今の音楽大学の教育やコンクールの活性化は、音楽人口を増やすことには役立っているかもしれないが、そこには音楽の純粋な楽しさを奪ってしまうような危険性があることを常に頭に置いておく必要があるのではないだろうか。


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